close
「松本日々新聞」復刊!! 

東京のNEW YORK 小岩に、hideと同じ昭和39年に生まれる。(そういう意味では横須賀生まれのhideとは生まれながらにピンクの糸で結ばれていたのか??)小学生=神童、中学生=秀才、高校生=普通の人、大学=落ちこぼれ、社会人=ただの馬鹿 という竜頭蛇尾な人生になりかけていたころ、当時勤めていた「MCAビクター 邦楽宣伝部」でhideのソロデビューと同時に宣伝担当となる。(当時、MCAビクターにはLUNA SEAというバンドもおりまして、ビジュアル系バンドは3L ※LONG=「化粧長い」「撮影長い」「打ち上げ長い」として、宣伝マンに恐れられていました)
2nd アルバム「PSYENCE」を完成させてL.Aから東京に戻ったhideの命により、松本日日新聞を創刊、編集長となる。以後、一時仙台に移転したり、休刊したり、「帰ってきた 松本日日新聞」で復活したりしながら今日に至る。蛇足だが、「松本日日新聞」創刊の年に生まれた長男「渉(わたる)」は、来年中学生。


「松本日々新聞」はいかにして生まれたか?
「かっちん、学級新聞みたいの作れないかなぁ」hideのこの一言でこの新聞は始まった。2ndアルバム「PSYENCE」を完成させてL.Aから戻ったその日のことである。成田から直行した都内某スタジオで、発売までのプロモーションスケジュールや、「千葉マリン LIVE」の打合せをしていた時のことである。このころhideはいち早くwebの世界にはまっていた。(まだ、メールは全然普及していない1996年の話です)そして、これから「PC」が重要なコミュニケーションツールになると確信していたhideは、PCの正反対に位置する「究極のアナログコミュニケーション ツール=学級新聞」を欲しがったのだ。何しろ、「EYES LOVE YOU」のカップリングには「OBLAAT」を収録するし、hide with spread beaverと同時にzilchを始める「両極端大好き」こそhideなのだ。こうして、「松本日々新聞」は全国のCDショップのフリーペーパーとして産声を上げたのである。


hideと言えば、こんなことがあったなあ、、、
今回はweb版で復活ということで、ちょっとメランコリックな連載も始めてみようか、と思います。
今回は一回目なのでhideとの初めてシリーズです。
初めて「hideのLIVEを見た」のは、確か「TAIJI」さんがベースのXとしては最後のLIVEになった「破滅に向かって」の東京ドームだったと思います。この日夕方までMCAビクターでLUNA SEAのSUGIZOの取材があって、「これからXのLIVEに行くけど、かっちんも一緒に来てよ」と事務所の方にいわれて、連れていかれました。(まぁ、ボディガード見たいな感じです)この時は凄かった。いくらグラサンしてても、XのファンにはSUGIZOはわかりますよね。ほとんどバイオハザード状態で、「すいません、通してください」を連発しながら東京ドームの通路を歩いたものです。
それから、LIVEですけど、「hideの部屋」には心もっていかれましたね。(まだ、その時はもちろんhideソロデビュー前で、自分が将来、hideのソロの宣伝担当になるとは思ってもいませんでしたが、、、)今から思えば、曲は「FROZN BUG」だと思うのですが、hideが狂ってしまうという設定で、SMの女王みたいなナースに拘束されて、ギャーギャーいいながら楽屋に連れていかれるのを、カメラが追うみたいな感じでした。(これはアングラ演劇の世界だなぁと、、、)XのLIVEって見所盛りだくさんですが、驚かされるのは「hideの部屋」ですよ。この頃は毎年大晦日にXのLIVEがあって、「hideの部屋」を見るのがスタッフながら本当に楽しみでしたね。


懐かしい人々
また、またノスタルジーな企画が続きますが、、、ここでは、「松本日々新聞」をめぐる人々を紹介しましょう。やはり、なんといっても 、この人なしでは、松本日々はなかったといえるのは、hideのディレクターの「Akihiko taste master GOTO THE III」でしょう。初期の「松本日々新聞」は編集長である「かっちん」がhideのディレクターである「GOTO THE III」から、いろいろな「ネタ」をもらって記事にしていくという設定になっていたものです。しかし、何でこんな長い名前なんでしょうか。熱心なファンの方ならご承知でしょうが、この名前はhide自身が考えたもので、実際「HIDE YOUR FACE」等の初期の作品では「Director:Akihiko taste master GOTO THE III」とクレジットされているのです。少々長くなりますが、このネーミングにはhideのGOTO THE IIIに対する「愛」が溢れているので解説してみましょう。まず、「taste master」ですが、これはGOTO THE IIIが実際に料理好きであったことに加えて(今は本当に料理人になってしまいました)、かつては博多で活躍した有名なバンドのギタリストでもあり、ある時は「ディレクター」として、またある時は「同じギタリスト」として、hide soundに絶妙な味つけをしたことから来ているようです。それと「THE III」ですが、これは「ルパン三世」から来ています。GOTO THE IIIは人のライターを持って帰るのが癖で、「スタジオ」や「飲み屋」でhideのライターを多々持ち帰ったところから授かった称号なのです。



原內容網址:http://www.hide-city.com/mcontents/special/080314_hideaway/newspaper.html
arrow
arrow
    全站熱搜

    JUAN JUAN 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()